病院もサービス業

病院も、サービス業のひとつです。
そう考えるようになってから、日頃から接遇や患者サービスについて考えるようにしています。以前、「患者さんを一人の大人として見る」ということについて書いたこともありました。
関連記事👉接遇について考える ― 患者さんを一人の大人として見るということ
今日は、休日に出会ったある出来事と、職場で受けたある相談について書いてみます。
ある公共施設でのホスピタリティ
ある休みの日、公共の施設を訪れる機会がありました。
対応してくれたスタッフの方は自然な笑顔で、こちらが少し言葉を発しただけで、求めている情報を先回りして教えてくれました。しかもそれは一人だけではなく、関わってくれた何人もの方が同じ姿勢だったのです。
待ち時間はありましたし、スタッフの方の間違いで書類を書き直すことになったりもしたのですが、不思議と不満は感じず、「良い施設だなあ」と思いながら帰ることができました。
私は日頃から、スタッフに「患者さんへの言葉遣いには気をつけてね」と、言葉遣いを中心に接遇について伝えてきました。でも、敬語を正しく使うことは接遇の入り口でしかないのかもしれない。
相手が何を求めているかを感じ取り、できる範囲で応えようとする。これがホスピタリティ、おもてなしの心なのだと思いました。
「特別な対応はやめてほしい」という声

ちょうどその頃、スタッフからこんな相談を受けました。
「一度特別な対応をすると、『前はやってくれた』と同じ対応を期待する患者さんが増える。やるならやる、やらないならやらないで統一してほしい」
正直、少し考え込んでしまいました。
もちろん、線を引くことは必要です。でも私自身は、柔軟に対応できるところは、やってあげればいいと思っています。これまでに、そのように対応したことで大きく困ったことはありません。
もし、そのスタッフが心配するように求めてくる方がいても、「ここまではできますが、これはできません」と説明し、お願いすればいい。今までもその対応で、納得していただけていました。
同じ「自由」でも、受け取り方は人それぞれ
私はふだん、よほど危険なことや病院にとって不利益になることでなければ、スタッフの判断を否定することはありません。報告と相談だけはしてほしいけれど、それ以外はできるだけ自由にやってもらっています。
改めて考えて、見えてきたこと
その後、普段の状況と、スタッフからの訴えを重ね合わせて考えている中で、ふと気づいたのです。
柔軟に対応するということは、その判断に責任が生じるということでもあります。
「これはやっていいのか、だめなのか」を自分で決める。
そして、すべてが本人の責任になるわけではありませんが、決めたことの結果を引き受けることにもなります。
人によっては、判断することに迷いが発生し、しかも負担に感じ、それが「全部統一してほしい」という言葉になっているのかもしれません。
任されている範囲が広いからこそ、のびのびと自由に動けているスタッフもいれば、どこまでやっていいか分からず、判断に困ってしまうスタッフもいる…。
同じ「自由」でも、受け取り方は人によって違うのだと。
スタッフにも、ホスピタリティを

正直に言えば、そう相談してくれたスタッフに対して「責任から少し距離を置きたいのかな」と、もやもやする気持ちがないわけではありません。
でも、仕事への向き合い方は人それぞれです。私のやり方が、全員にとって働きやすい形とは限らないのだと思います。
私が、今後もホスピタリティを大切にしたい気持ちは変わりません。
でも、それがスタッフの迷いや負担の上に成り立っているなら、どこかで無理が出てきてしまいます。
全部を統一するのでもなく、全部を個人の判断に任せるのでもなく。迷いやすい人にとっての「ここまでは大丈夫」という目安を、随所随所で言葉にして発信し、歩み寄っていくようにする。
私がやらなければいけない第一歩だったと気づかされました。
相手のことを思って対応することは、患者さんに対してだけでなく、一緒に働くスタッフに対しても同じように必要だったと、改めて考えさせられた出来事でした。


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