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ケアプランに書き続けた「家族の負担軽減」という言葉

ケアプランに書き続けた「家族の負担軽減」という言葉 ケアマネ時代・キャリアの記録

10年以上前ですが、居宅のケアマネジャーをしていました。

その頃たくさんの利用者さんを担当していた私ですが、それら利用者さんのケアプランには、「家族の介護負担減」を目的とした介護保険サービスが、だいたい加えられていたように記憶します。

ケアプランの方向性について

ケアマネ研修では、利用者主体のケアプランとなるよう、本人の潜在的なニーズまで掘り起こすことの大切さを繰り返し教わりました。
それは正しい考え方であり、とても大切なことだと、当時も今もよく理解しています。

ただ、実際の現場では

ただ、実際に現場で向き合うのは、本人だけでなく、その本人の生活を日々支える、家族の姿でした。特に認知症の症状が進んだ方のケースでは、本人は家にいたいと言うけども、家族は介護の大変さで今にも潰れそうになっている。本人の意向ばかり尊重していられない、という難しい場面は多く見られました。そのため、気づけば本人の意向よりも、家族が介護を継続していけることを優先して、ケアプランを組み立てていたこともあったように思います。
これでよかったのだろうか…、その疑問は、当時からずっと心のどこかにありました。

当時の私…忙しい時期だった

今思えば、あの頃の私は、子どもがまだまだ小さく、子どもに手がかかる時期真っ只中でした。
人の成長をサポートする子育て、人の機能が低下することに向き合い支援する介護。
もちろん、まったく違うものです。
それでも、自分以外の人に時間を費やし、生活が自分以外の人のペースで回るという、子育てと介護。その共通部分に、介護に疲弊する家族の姿と、自分が子育てで感じる疲れを重ねていたのかもしれません。「支える人が倒れてしまっては、本人の生活も続かない」という感覚が、他のケアマネジャーよりも強く出ていた部分があるのではないかと思います。

そして今。介護者と関わるときの気持ち

ケアマネジャーを辞めて介護の現場を離れた今も、病院でさまざまな家族介護の形に出会います。
夫婦、親子、きょうだい、甥・姪などが介護を担っている状況です。
本人の認知症状に耐えきれず、周りの人の目もはばからず声を荒げてしまう介護者もいます。
かと思えば、手がかかっても、ただ静かに本人のペースに合わせ続ける介護者もいます。
やはり、他者を介護をすること、それ自体がとても大変なことだ、としみじみ思います。

介護保険制度は「社会全体で介護を支える」という理念で始まった国の制度です。
その理念は素晴らしいですが、やはり根底には、家族という土台があって成り立っているサービスだと感じます。
本人の意向を大切にすることが最大の目標ですが、それを支える家族を守ることも、最重要課題となる瞬間が、現場には存在します。

今、ケアプランを立てるとしても

今の私は、子どもに手がかかる時期は過ぎ去ったわけですが、ケアプランを立てることになったのならば。
結局、それでも家族の負担軽減に重きを置くのだと思います。
それが正解なケアプランなのかどうかは、当時と同じように、今も分からないのですが。
ただ、支える人の生活が破綻してしまえば、本人の望む生活そのものが続けられなくなる。
だからまず、生活が維持できるようにすることを目指す。その判断は、間違っていないのだと、今も思っています。

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終わりに

本人主体か、家族主体か。
その問いに、きれいな答えは、やはりないのかもしれません。
今日も、現場のどこかで、同じように迷いながら選択をしているケアマネジャーさんがおられるのではと思います。
その迷いは、決して悪いことではないと、私は伝えて、応援したいです。

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