マニュアルが、配れなかった日
日々の業務のなかで、私はマニュアル作りをよくしています。
今回は、私の部署の報告が苦手な新人スタッフのために、SBARの報告マニュアルを作りました。
「これで報告の型が身につくはず」「みんな助かるはず」と考え急いで仕上げて、配布の前に看護部長に報告に行きました。
ところが、返ってきたのは思いがけない言葉でした。
「報告が出来ていないなら、本人たちにそのことを伝えて、考えさせるべきじゃない?」
「全部作って与えてたら、なんでも師長が考えてくれる、ってなってしまうよ」
正直、戸惑い「え?」と固まりました。
我ながらよく出来たマニュアル。みんなに見てほしい気持ちがありました。
だからこの「ストップ」がかかったことに、驚きが先に立ちました。

「与えすぎ」という言葉が、少しずつ沈んでくる
マニュアルが実質ボツとなったことでがっかりしていたのですが、時間が経つにつれて、部長の言葉が違う形で捉えられるようになってきました。
このマニュアルを提示したところで、本当に自分のものとするスタッフはどれくらいいるだろう。
もともと出来ているスタッフには、そもそも必要ないものです。
報告が不十分なスタッフだって、自分の報告が不十分だと認識していなければ「自分に必要な資料だ」と受け取らず、素通りしてしまうかもしれません。
そう考えると、あのマニュアルは、私自身の「ちゃんと考えて対応してます」という自己満足の部分が大きい物かもしれない――そんな風にも思えてきました。

「育てる」ことと「与える」ことは、同じじゃない
以前、あるスタッフから「師長の目指す方向性がわからない」と言われたことがあります。
その言葉の意味の解釈と答えは、まだだせずにいたのですが、今回のこのマニュアルがボツなる一件と、私の目指す方向性がスタッフから見えない状況、この二つの事柄は繋がっているのではないかと思えてきました。
こちらの投稿に詳細を書いています👇
「師長の方向性が見えない」と言われて、まだ答えが出ていません
全部私が用意して差し出してしまう。それは一見親切に見えて、実は「自分で考える機会」を奪い、現場スタッフの自立を阻害してしまっていたのかもしれません。
子育ては、先回りして答えを渡し、いつも手を貸していたら、その子は自分で立てるようにならない。新人指導も同じです。
「困ったときも自分で考え、自分で動ける自立した人」を育てていくことが、本来の目的だったはずです。
私が目指す職場とは
私が目指す職場は、それぞれのスタッフが自分で考えて、自分らしく働ける職場です。
新人にも、そのように活躍できるように、知識・技術を習得し、育っていって欲しいと考えています。
ただ、人間には能力差があります。一人でなんでも出来る人もいれば、部分的に補助を得ることで自立できる人、人それぞれと思っています。それをお互い認め合いながら、譲り合いで働ける職場にしたいと日頃から考えています。
そんな職場にしたいという理想や思いはあっても、その場限りではない、長期的な視点をもった取り組みや目標がかけていたようです。
ただ、この「認め合い、譲り合う職場」という理想は、少しきれいごとが過ぎるかもしれません。
実際には、能力差のしわ寄せは、結局できるスタッフの方に集中してしまうこともあるはずです。もし私がスタッフの立場だったら、「そんな理想より先に、しわ寄せの方をなんとかしてほしい」と思うかもしれません。
この理想と現実のギャップについても、私自身、まだ整理がついていません。
自立を促す指導、これからの課題
今回の、マニュアルを作ったこと自体は間違いだったとは、今も思っていません。
ただ、その作ったマニュアルを提示するに前に、考える機会をまず与え、タイミングを見ながら与えるという、長期的な視点をもちながらの対応が必要だったんだと、今では理解しています。
「考えさせるタイミング」「与えるタイミング」その見極めは、今の私にはまだ難しいです。
その他にも、まだ具体的な対応方法はあると思うのですが、まだ見つかっていません。
長期的なスパンでの視点を今後も忘れずに取り組む事の必要性を、今回は学ぶことができました。
新人指導について、以前こんな記事も書きました👇
気づける人も、気づけない人も。「業務効率化」について考え、挑戦していく。


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